病気の時は心が綺麗になる

 病気の時、人は心が非常に弱る。

 その病気が辛いものであるほど、支えてくれる周りや医療従事者の方々への感謝の気持ちは増していく。

 

 まあ言ってしまえばちょろくなるのだ。

 看病してくれる親や恋人等への気持ちは強くなるし、入院の時は看護師さんが天使に見える。

 この前腹痛で病院に行った時、僕はこんな先進的な医療を受けられない他の国の方々はなんで可哀想なんだろうと思い、普段は絶対にしない募金をしようかと思うほどだ。

 

 まあ、実際はしないのだが。

 

 病気の時は当然体力が落ちるため外に出る機会が無く、完治する頃にはそんな気持ちは忘れてしまっているのだ。

 なんと悲しきかな人の性。人類は醜いというラスボスの言葉に今なら共感できる気がする。そういった心が戦争を起こし多くの人を不幸にしてきたのだろう。

 しかし、病気を治すための医療を発達させたのもまた人だ。彼らは疫病や戦争から人を守るために人を救う術を磨き上げたのだろう。

 そう考えると、光も闇も同じ人から生まれているものだということを強く実感する。

 人の光を信じる主人公と人の闇に絶望したラスボスの構図は物語ではよくあるものであるが、それは当然なんだろうなと思った。

 

 最初は病気の時は世界の幸福を願うみたいな話をしようと思っていたのだが、書いているうちに筆が乗って大幅にずれてしまった。

 途中で自分の心の話から実際の行動の話になるあたり、心のどこかでは行動が伴わないことに自分でも引け目を感じているのだろう。

 

 悲しい話になっちゃったな…